『神さまは公平で、一人の人間にだけいいことばかりは与えません。
長い一生を見れば、どんな人も、いいことや悪いことに
くり返し見舞われています。
雨の日が一ヶ月もつづくということはないのです。
雨のあとにはきっと天気がめぐり、青空が上がります。
人間の生活も必ず青空が上がります。
同じ状態がつづかないことを仏教では無常といいます。』
瀬戸内寂聴さんの法話が行われる寂庵の中へ入れて戴きました。
お庭にあったこの石(*^_^*)ステキ~♪写真を今見ても心が和む。
「寂」は、“寂しい”という意味ではなく、“静寂”の「寂」。
しずかに仏の声を聴く、という意味だそうです。
中京区丸太町の町屋を改修された羅紗庵にいつか訪ねてみたい。
丸太町というとイノダコーヒ本店http://www.inoda-coffee.co.jp/を
思い出すけれど、近くでしょうか?!
寂庵へようこそ!
http://www.jakuan.com/
作家の瀬戸内寂聴さん(87)が、京都市中京区丸太町堺町の町家を改修し、
句会や写経の会などを開く「文化サロン」としてオープンさせた。
亡くなった親友のチベット史研究者から譲り受けた
築約100年の木造2階建てで、
チベット仏教の聖地・ラサにちなんで「羅紗庵(らさあん)」と命名。
「文化の発信地として活用してもらえれば」
と幅広い利用を呼びかけている。
町家は京都御苑の南側にあり、昨年1月に93歳で亡くなった
佐藤長(ひさし)京都大名誉教授が終戦後から住んでいた。
子どもがなく、妻に先立たれた佐藤さんが
「どうしてもあなたに譲りたい」と、使い方は指定せずに瀬戸内さんに託し、
瀬戸内さんが文化の拠点に、と決めた。
昨年11月から約3か月かけて改修。
ベンガラ格子や聚楽(じゅらく)壁を修復し、
箱階段や通り庭、坪庭を整えた。約33平方メートルで、4室がある。
佐藤さんと出会ったのは、戦時中の1943年の北京で。
瀬戸内さんが新婚生活を送っていた集合住宅の上階に
留学中の佐藤さんが下宿。
3人分の食事を毎日作って、ともに食卓を囲んだという。
終戦で帰国した瀬戸内さんは、夫の元を離れて京都に移り住み、
連絡が途絶えていた佐藤さんと偶然再会。
以後、新作を発表するたびに、批評を請うてきた。
瀬戸内さんは「物書きとしての私をずっと信じてくれた。
学問一筋で、尊敬できる戦友のような存在だった」としのび、
「サロンのにぎわいが、生きた証しになれば」と話している。
サロンの利用についての問い合わせは、寂庵(075・871・7606)へ。
(2009年6月3日18時43分 読売新聞)