石川 千代松(いしかわ ちよまつ、1860年1月30日(万延元年1月8日) – 1935年(昭和10年)1月17日[1])
日本の動物学者。進化論を日本に紹介したことで知られる。
1907年頃、石川はハーゲンベックから上野動物園にじらふ(きりん)を求め、
日本で初めて見られるようにした。
後に、列車での輸送許可を得てなかったとされ、解雇された。
石川は、「許可は得ていたのに、高額だったから責任をとらされた」と、親族に語った。
じらふをきりんと名付けたくだりは、1928年アルス発行『日本児童文庫; 43 動物園』に、
「これはじらふという動物です。きりんと名を付けるのは、
あるいは当たらないかもしれませんが、
あるアメリカ人の書いた漢書にも、そう書いてあったように覚えています」
と記されている。
日本では1907年に、初めて恩賜上野動物園で飼育された(ファンジとグレー)[7][8]。
恩賜上野動物園園長だった石川千代松によって、本種の和名がキリンと定められそれが広まった[7][8]。
ドイツから2頭のキリンが3月15日に海路で横浜港に到着し鉄道で輸送する予定であったが、
経路途中の神奈川のトンネルと品川の陸橋をくぐることができないと判明したため、
船で隅田川から日本橋浜町河岸につけ大八車で上野動物園に運び3月18日に入園したとされる[8]。
石川さんは「中国の霊獣『麒麟』が手に入った!」と国に噓をつき、強引に買い付けることに。
これが日本でジラフのことを「キリン」と呼ぶようになったきっかけです。
ちなみにキリンが日本に到着したときは、電車で運ぶことができず
横浜から上野まで大八車に載せて運んだそうです。